こんにちはMayです。
今日はわたしの記憶に残っている音楽のことを書きます。
この記事は数年前に書いたものなので内容はほぼ当時のままにしています。
エッセイ的な記事です。
カーディガンズ『カーニバル』の記憶

15秒の短い世界で商品の特徴を伝える。
CMは消費者の心をくすぐる要素が詰まった入れ物です。
使われるBGMや歌は、その印象が強ければ強いほど、いつまでも耳に残ります。
CMから流れた曲を聴いて、
「新曲だ」
そう思う世代がいる一方で、
「懐かしい曲だな」
そう思う世代もいます。
オリジナルを知っている世代はそれを新曲とは思いません。
世代がちがえば曲への印象もまたちがいます。
ニーナ・パーションのキュートな声。
『Lovefool』はスウェーデンのバンド「カーディガンズ」のヒット曲です。
「この曲をカバーした女性ダンスグループDreamのAmiさん。ソロ3枚目のカバーシングル『Lovefool』です」
司会者がカバーと言わなければ、多くの若いファンは彼女のオリジナルだと勘違いしていたかもしれません。
“かわいすぎる”歌い方。若い女性には受けがいいのか。
ただ、ニーナ・パーションはかわいい中にも「アンニュイ」があります。
あの力が抜けるような、身体中を疲労にも似た感覚がおそう。
「カーニバル」はわたしを二十二、三歳のときに時間を戻してくれます。
FMラジオからカーニバル
世の中が「仕事」で動いている平日の晴れた日。
わたしは年上の彼女を助手席に乗せてドライブ。
他愛もない話をして、時折二人の間におとずれる会話の途切れた時間。
FMラジオからは女性ヴォーカルの声。
「抜けた歌だな」
そう思い、そのときは気にもとめませんでした。
記憶に残る音楽
何年も経っているのに、曲を聴いただけであのときの晴れた平日のドライブが頭によみがえります。
記憶に残る音楽の力。
音楽というのは、聴く人によっていい印象だったり悪い印象だったりします。
それはその音楽を聴いたときの、それぞれの時代背景や、出来事があるから当然なのですが、人に影響を与える五感のうちで聴覚は、人の記憶や心に鋭く突き刺さる感覚として強いのではないか思ってしまいます。
わたしの友人は、藤圭子を聴くと若いころのイヤな時代を思い出すと言っていました。
友人にとって藤圭子の歌は、時間を超えるものなのです。
ただ、「昭和の歌姫」の歌を聴くと、友人でなくてもだれもが憂鬱な気持ちになってしまいます。
15、16、17と、私の人生暗かった
「演歌」とは、まさに五木寛之が書いた『怨歌』なのかもしれません。
その後、年上の女性とは別れ、わたしは上京して一人暮らしをはじめました。
わたしが『カーニバル」をカーディガンズの曲だと認識したときは、ちょうどそれぐらいのときだったと思います。
ニーナ・パーションのアンニュイなヴォーカルで歌われるその曲を耳にするたびに、あの晴れた日を思い出し、わたしの胸は針で刺されたように少し痛みます。