こんにちはMayです。
「格差」についてこんなツイートをしました。
世の中て生まれたときから不平等にできていて、生まれる国も選べなければ、親も選べない。偶然か必然かわからないけど、わたしは日本人に生まれた。
— May (@M_Ywave) July 25, 2020
どうしようもない「格差」てあるけど、そういう差を埋めるのってやっぱり教育とか学びしかないと思う。#不平等 #格差 #教育
今日は『世界の果ての通学路』というドキュメンタリー映画から格差社会の解決策を考えてみたいと思います。

格差社会はどうしたらなくなるのか?
わたしの結論はこうです。
人間は生まれたときから不平等。しかし、その格差を解決策するのは教育。
このドキュメンタリー映画とわたしの考えを元に書いていきます。
映画『世界の果ての通学路』とは

簡単に『世界の果ての通学路』というドキュメンタリー映画を紹介します。観た人も多いのではないでしょうか。
物語は4つの国。長時間かけて学校に通う子どもたちです。


野生動物に注意しながらサバンナを2時間かけて通うケニアの兄妹。
馬で通学するアルゼンチンの兄妹。
4時間かけて往復するモロッコの3人の少女。
兄の車いすを押して通うインドの3人兄弟。
彼らは険しい道のりを超え、危険な目に遭遇しながらも、親切な人たちの助けもあり遠く離れた学校まで通います。
授業では真剣な眼差しで先生の話を聞いて勉強する姿が映し出されます。
この映画の制作はフランスです。2013年9月に公開されました。200館で公開され18周目で123万人を動員しました。その後日本でも公開されています。
人間は生まれながらに不平等

なぜ険しい道のりを超えてまで学校に通うのか
その問いに彼らは、学んだ先にある自らが抱く夢を語ります。
医者。宇宙飛行士。学校の先生。子どもたちは明確な答えを持って語ります。
わたしはこれを観たとき、あらためて人間は生まれながらに不平等にできているんだと実感しました。
この映画に出てくる子どもたちは本当に学校に行きたい。学ぶことを渇望していて、大人でも避けて通りたい危険な道を何時間もかけて通います。
だけどわたしはこうも思いました。
彼らの学校に通う苦労って本当に必要ないことだと。
たぶん、この子どもたちも本当なら2時間かけて学校に通うより、10分で学校に着く通学時間のほうがいいと思っているはずです。
長時間の危険な通学路より、短時間の安全な通学路の方が、誰だっていいにきまっています。
だけど、どうしようもないことって人生には多すぎます。
そう言ったことを前提にすると、彼らの前で「人間みな平等」なんてわたしは言えません。
「学ぶことは平等だ」
そう言う人もいるかもしれません。
たしかに誰でも学べます。ですが学びたくても学べない環境にある人もいます。
映画に出てくる子どもたちは学んでいますが、長時間かけて学びに行っています。
2時間の通学時間より、通学時間10分で残りの110分を学ぶ時間に充てたほうがいいのは誰でもわかります。
「学ぶ」ことはできても「学ぶ量」にちがいがあります。
平等にはならないけれど格差は縮まる
わたしたちは生まれたときからすでに平等ではありません。
生まれる国も選べなければ親も選べません。
生まれたときからすでに不平等で「ある程度の差」があります。例えば思いつくところでは、
- 国の格差
- 身分の格差
- 親の格差
- 身体の格差
まだあるかもしれませんが、生まれたときからあるこういう「差」はどうしようありません。
だけどその「格差」をどうにかできないかと考えたとき、すべてではなくても「ある程度の差」を縮める方法って、教育しかないと思います。
教育とか学問とか、そういった堅苦しい言葉でなくてもいいのですが、「学ぶ」ことでしか「差」は縮められないと思います。
夢や目標を持つことが学びへ繋がる
インドに生まれた足の不自由なサミュエルが、将来は医者になって同じように足の悪い人を治したいと夢を語ります。
モロッコのザヒラは教師になりたいと語ります。
夢や目標を語る彼らの心にはたぶん、自分と同じような境遇の人を一人でも減らしたいという思いがあったのではないかとわたしは考えます。
そうするためにはまず自分たちがそういう境遇から抜け出す必要がある。
字を書き、知識を得て、より高い学びの場へ行く。そうすることによって世の中の問題を考える力が身につく。
彼らは教育の重要性を小学生ながら実感していたんじゃないでしょうか。
まとめ
教育が行き届くと考える力が身につきます。
そこから思考が枝分かれして、例えば政治に興味持ったり、経済に興味を持ったり、または事業に興味持ったりします。
それで誰かが「通学に2時間かかるなんてありえないから学校つくろう」「通学のために道路をつくろう」「国を変えるために政治家になろう」て考える。
電気が通りインターネットが使える環境さえあれば、今の時代、ネットを通して学習ができます。どれだけ家と学校が離れていても同じ教育を受けることができます。
こういったことも、その技術を学んだ人がいたから生まれたものです。
そう考えると、やはり教育や学びは欠かせず、世の中の不平等はなくならないけど「差」というものは多少縮まるのかなとわたしは考えます。
人は生まれながらに不平等で「格差」もある。しかし「教育」によってある程度の差は縮められる
では今日はこのへんで